一年で一番長い日 89、90「あたしが<ヘカテ>というドラッグをの存在を意識したのは、父・・・高山が夏子の店の入っているビルに手出しをしてきてからのことよ。それまでも、話題としては知っていたのよ。夜の店だし、そういう情報はどこからでも入ってくるから。でも、エクスタシーとかスピードみたいに、またファッション性の高いのが出てきたのね、っていう程度の認識だった」だから、興味もなかった。芙蓉はそう言った。 「他のドラッグに比べて流通量が少なかったらしくて、幻の月、なんて呼ばれてるらしいって聞いても、ふーん、ていう感じ」 「・・・高山氏とその幻の月に、何か関係があったのか?」 俺の問いに、芙蓉は苦い笑みを見せた。 「高山が裏で汚いことをしているらしいのは薄々知ってたけれど、どうだって良かったわ。あたしは戸籍も抹消されて、棄てられ存在だったし。ただ、保険だけは掛けたけれど」 「ああ、葵くんに聞いた。表に出ちゃ困るような帳簿やなんかをコピーして持ち出したんだって?」 「ええ。あたしを棄てたように、もし葵にも何かしようとするようなら、それで脅して止めてやろうと思ったのよ」 「一番は葵くんのためだったのか・・・」 芙蓉は頷いた。同じ顔をした彼の弟は、おやつを食べ終えた彼の息子を積み木で遊ばせてやっている。幼い夏樹に何かを話しかけながら積み木を渡してやる葵の横顔を見ながら、芙蓉は頷いた。 ------------------------------- ネズミが出た。家人は処分できないという。 しょうがないなぁ、とprisonerNo.6はPCの前を離れた。 ************************* 「ヘンタイのあたしを追い出した後、一人残った葵に高山がどんな理不尽なことを強要するか分からないと思ったの。まさか、あたしの戸籍までいじるとはその時は考えもしなかったけれど、・・・それくらいやるのよ、高山は」 本当にアイツの弱みを握っておいて良かったわ。芙蓉は自嘲するように言った。 「高山が葵やあたしに変な手出しをして来ないかぎり、それを知らせるつもりなんて無かったわ。だって、あたしが高山にとって命取りになるようなものを持っていることを知られたら、こっちの命が危ないもの」 「一緒に暮らしていた頃からそんなふうに思ってたの?」 俺は半ば信じられずに訊ねた。親子なのに? それとも、親子だから? 「ええ」 芙蓉はきっぱりと頷く。 「残念ながら、そう思わざるを得ないようなことを見たり聞いたりしたから。葵も高山のやってることの後ろ暗さくらいは気づいてたと思うけど、闇の部分がどれだけ深いかということまでは知らなかったはずよ」 「君はその、闇の部分を知っていたってこと?」 俺の問いに、芙蓉は少しのあいだ黙っていた。 「あたしの・・・趣味の方の友だちの家が、高山の経営する金融会社からお金を借りて・・・結果、一家離散の憂き目に遭ったってことを聞いたのよ。こっそり調べてみたら、本当に汚いやり口で・・・」 「うん」 辛そうに語る芙蓉が痛々しい。俺は相槌を打つくらいしか出来なかった。 「結局、その友だちのお母さんが自殺して、高山の会社はその保険金を毟り取ったらしいの。・・・惨いやり口はそれだけじゃなかったわ。相手がたてついたり、抵抗したりした時のやり方ときたら──」 そんなの、とても葵には教えられなかった。と芙蓉は言った。 「だからね、追い出されるという形で高山の家から出るにしても、後々のことを考えざるを得なかったのよ。そして、それは正しかったってわけ」 溜息のように吐き出されたその言葉は、とても苦かった。 「当時持ち出した高山の裏側の資料と、今回のことがあってから探り出した事実。そこからとんでもないものが浮かび上がってきたの」 芙蓉は俺の目をまっすぐに見つめた。 「ヘカテという、ドラッグがね」 「それは、どういう・・・」 俺は言葉を詰まらせた。この先を聞くのが怖いような気がしたのだ。 「ヘカテの製造か輸入か、そのどちらかに高山の資金が流れてたってことよ」 ヘカテ。夜の女神。暗黒の月・・・ 次のページ 前のページ |